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もっと、生きやすい世界にならんものか。
と、口には出さないけれど、いつも心の底で願ってます。
人と会わなくても会話が出来てしまうし、メールとかメッセとか文字だけから気持ちを読み取らなきゃいけないし、普通のコミュニケーションがとてもしにくい。
人の内面を探ろうとせず表面的な部分で判断する効率重視の社会。
物事と深く関わらなくても何とか出来てしまう、利巧なのか稚拙なのかわからないシステム。
とか、色々。
要するに、人に対して意識が希薄ってことなんじゃないかと思う。
非常に不自然な形でバランスが取れちゃってるんじゃないかな、と。
今の私は生きにくいと感じています。
ただこれはとても個人的なところに原因があるので、自分を変えていかなきゃいけないと思ってます。
もっともっとたくさんのものを大事にしなきゃいけない。
どこまで努力すればいいのか、どこまで愛すればいいのか、そんなことを愚痴っても、これは甘えに過ぎない。
でも、どんなに伝えようと思っても、自分の限界を出しても、それでも気づいてもらえない悲しさというのは、言葉に言い表せないものがあります。
?マークさえ出してもらえないっていうのは、とてもとても虚しい。
本当に自分はいらない人間なんじゃないかと一日に一回くらいは思うし、実際そうだから笑い事にもならん。
コミュニケーションにおいて、非言語は言語を超える。
心が通うと思ったとき、根底にあるのは非言語の方が強いんじゃないか。
言葉は説得力を与えるけれど、言葉だけなら別に生きた声で話す機械でもいい。
こういうところに敏感すぎるもんだから、生きにくいんだろうと自分で思ってるし、きっとそういうことなんだろう。
私は心理学を学んでいて、将来心理職に就こうと思って勉強してるわけなんですけど、臨床心理士、カウンセラーという人の心に携わる職業というのは、生きにくさに手を差し伸べる職だと思ってます。
病気を治すのではなくて、その人がその人でいられることに不自由を覚えなくてもいいように、手助けするというよりは一緒に時間と場を共有する仕事なんじゃないかと。
別にこんなのカウンセラーがやんなくても、誰だってやれることだと思うけれど、必要とされてるんですよね、悲しいことに。
本当はカウンセラーなんて要らない職業のはずなのにな。
心理職の需要が増えるってことは、それだけ世の中の生きにくさを反映してるんじゃないかって思う。
別に、病気だからって治さなきゃいけないわけじゃないんですよ。
何らかの不自由、臨床心理的に言えば生きにくさを感じるから治療なりが必要となるわけで、別にこのままで大丈夫と本人が、家族が思うのならそれでいいはずです。
基準が明確に引かれているわけじゃないので、難しいんですけども。(強制って手段もあるし)
まあ、その人に寄り添おうと思ったら、その人にとっての生きにくさは何なのだろうかと、もっと敏感にならなきゃいけないのです。
現実は非常に厳しいっ!
でも、必要だと言ってくれる、態度に表してくれる人がいるなら、幾らでも一緒にいようと思った。
何でもしてくれる便利屋さんって意味じゃなくね。
誰でもいいのではなくて、私だからと必要としてくれる人がいるなら、持てる全てを出そうと思う。
っていう気持ちがある限りは、社会的に認められた形という意味でも、心理職を目指す意味はあるんじゃないのかな、と思った次第です。
先にも書いたとおり、本当なら必要とされることがおかしいんです。
出来ることならカウンセラーなんてなくなって欲しい。
ただ、やっぱり今の世の中はそれぞれの生きにくさで溢れかえってると思うので、少しでも専門知識が役立てばいいなと思うのです。
本当は、世の中が変わることが重要なんだろうけど、それは絶対に無理だろうから。
私が居ることで、ちょーっとでもね、楽になったぜ!って人が一人でも居てくれたら私はとても嬉しいのです。
と、口には出さないけれど、いつも心の底で願ってます。
人と会わなくても会話が出来てしまうし、メールとかメッセとか文字だけから気持ちを読み取らなきゃいけないし、普通のコミュニケーションがとてもしにくい。
人の内面を探ろうとせず表面的な部分で判断する効率重視の社会。
物事と深く関わらなくても何とか出来てしまう、利巧なのか稚拙なのかわからないシステム。
とか、色々。
要するに、人に対して意識が希薄ってことなんじゃないかと思う。
非常に不自然な形でバランスが取れちゃってるんじゃないかな、と。
今の私は生きにくいと感じています。
ただこれはとても個人的なところに原因があるので、自分を変えていかなきゃいけないと思ってます。
もっともっとたくさんのものを大事にしなきゃいけない。
どこまで努力すればいいのか、どこまで愛すればいいのか、そんなことを愚痴っても、これは甘えに過ぎない。
でも、どんなに伝えようと思っても、自分の限界を出しても、それでも気づいてもらえない悲しさというのは、言葉に言い表せないものがあります。
?マークさえ出してもらえないっていうのは、とてもとても虚しい。
本当に自分はいらない人間なんじゃないかと一日に一回くらいは思うし、実際そうだから笑い事にもならん。
コミュニケーションにおいて、非言語は言語を超える。
心が通うと思ったとき、根底にあるのは非言語の方が強いんじゃないか。
言葉は説得力を与えるけれど、言葉だけなら別に生きた声で話す機械でもいい。
こういうところに敏感すぎるもんだから、生きにくいんだろうと自分で思ってるし、きっとそういうことなんだろう。
私は心理学を学んでいて、将来心理職に就こうと思って勉強してるわけなんですけど、臨床心理士、カウンセラーという人の心に携わる職業というのは、生きにくさに手を差し伸べる職だと思ってます。
病気を治すのではなくて、その人がその人でいられることに不自由を覚えなくてもいいように、手助けするというよりは一緒に時間と場を共有する仕事なんじゃないかと。
別にこんなのカウンセラーがやんなくても、誰だってやれることだと思うけれど、必要とされてるんですよね、悲しいことに。
本当はカウンセラーなんて要らない職業のはずなのにな。
心理職の需要が増えるってことは、それだけ世の中の生きにくさを反映してるんじゃないかって思う。
別に、病気だからって治さなきゃいけないわけじゃないんですよ。
何らかの不自由、臨床心理的に言えば生きにくさを感じるから治療なりが必要となるわけで、別にこのままで大丈夫と本人が、家族が思うのならそれでいいはずです。
基準が明確に引かれているわけじゃないので、難しいんですけども。(強制って手段もあるし)
まあ、その人に寄り添おうと思ったら、その人にとっての生きにくさは何なのだろうかと、もっと敏感にならなきゃいけないのです。
現実は非常に厳しいっ!
でも、必要だと言ってくれる、態度に表してくれる人がいるなら、幾らでも一緒にいようと思った。
何でもしてくれる便利屋さんって意味じゃなくね。
誰でもいいのではなくて、私だからと必要としてくれる人がいるなら、持てる全てを出そうと思う。
っていう気持ちがある限りは、社会的に認められた形という意味でも、心理職を目指す意味はあるんじゃないのかな、と思った次第です。
先にも書いたとおり、本当なら必要とされることがおかしいんです。
出来ることならカウンセラーなんてなくなって欲しい。
ただ、やっぱり今の世の中はそれぞれの生きにくさで溢れかえってると思うので、少しでも専門知識が役立てばいいなと思うのです。
本当は、世の中が変わることが重要なんだろうけど、それは絶対に無理だろうから。
私が居ることで、ちょーっとでもね、楽になったぜ!って人が一人でも居てくれたら私はとても嬉しいのです。
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