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やっとこさ、火曜日提出予定のレポートが全て終わりました。
あとは印刷して表紙くっつけるだけです。
私にしては、余裕を持って課題に取り組めたのではないか、と。
レポートが7本という、地獄の1、2週間でしたが、残すところは金曜提出の心理査定レポートのみです。
もうちょい!
頑張る!
新しく購入したiPodクラシックは曲ごとにアートワークが表示されるので、気分転換もあって、もくもくとジャケット画像を集めてはiTunesに放り込む作業をしてます。
CDってなかなか良いジャケットだと、ぐっときますよね??
ジャケ買いなんつーことも、昔はよくしたもんです。
CDという文化がなくなってしまったら、ジャケ買いもしなくなってしまう。
音楽配信はすごい技術で確かに便利かもしれないけれど、やはり人間は、好きなものくらい形あるものとして手にしておきたいと思うんじゃないでしょうか?
ぶっちゃけて言うと、好きな音楽CDを買わずにデータだけ持ってるっていう状態が、私には信じられんです。
CD買わなくたって聴けるんだから、別にいいじゃんって人は、もう知らないw
それは「好き」が足りないんだろうなって、私には思えてならない。
好きだったらさ、手に入れたい一心で、必死こくんだって。
ライブもライブで、実際目にしたライブはそれ以上の価値を持つ。
この目で、手で確かめてこそ、大事だってことに気づくこともたくさんある。
もし、これ以上にメディア技術が発達して、音楽そのものだけじゃなくライブ映像までもがリアルタイム配信されて、お金を払えば誰もが、上限もなく、ライブを観れるようになったら。
10時きっかりに電話を片手に必死になる必要もなくなる。
わざわざ遠いところまで足を運ばなくてすむ。
もしかしたら配信を録画することも可能になるかもしれない。
ずーっと、この先もその映像を繰り返し見れるかもしれない。
でもそんなことが可能になったら、情報集めに必死になったり、チケットが取れたときすごく嬉しく感じたり、会場までの道のりにドキドキしたり、そういうこともなくなっちゃうんだろう。
それは私にとって、すごく寂しいこと。
きっと、チケット代の代わりにお金払って、それで見れるんならそのほうが便利だっていう人はたくさんいるんだろうな。
きっと、そっちのが賢いと思う。
無駄なことをしなくていいし、現代社会に合ったものなのかもしれない。
技術の発達は物理的な問題も解決してくれるわけだし。
でもやっぱり私は、きっとライブに行くんだろうと思う。
この目で観てみたいと思う。
その時何を感じたのか、明日には上手く思い出せなかったとしても、やっぱりあの空間で知りたいと思う。
得た情報量は同じだったとしても、数値化できないものを感じるのが人間だろう。
好きな人にしか出来ないことをやって初めて、好きって伝わるような気がするから。
誰にだって簡単に手に入るようなこと、誰にだってすぐに出来ることなら、私はいらない。
同じように感じている人に出会うためにも、これからもライブに行くし、音楽配信だとか着うただとか、そういう文化が発達したとしても、CDが媒体としてあり続ける限りは、買うんだろうと。
そんなことを思った。
あとは印刷して表紙くっつけるだけです。
私にしては、余裕を持って課題に取り組めたのではないか、と。
レポートが7本という、地獄の1、2週間でしたが、残すところは金曜提出の心理査定レポートのみです。
もうちょい!
頑張る!
新しく購入したiPodクラシックは曲ごとにアートワークが表示されるので、気分転換もあって、もくもくとジャケット画像を集めてはiTunesに放り込む作業をしてます。
CDってなかなか良いジャケットだと、ぐっときますよね??
ジャケ買いなんつーことも、昔はよくしたもんです。
CDという文化がなくなってしまったら、ジャケ買いもしなくなってしまう。
音楽配信はすごい技術で確かに便利かもしれないけれど、やはり人間は、好きなものくらい形あるものとして手にしておきたいと思うんじゃないでしょうか?
ぶっちゃけて言うと、好きな音楽CDを買わずにデータだけ持ってるっていう状態が、私には信じられんです。
CD買わなくたって聴けるんだから、別にいいじゃんって人は、もう知らないw
それは「好き」が足りないんだろうなって、私には思えてならない。
好きだったらさ、手に入れたい一心で、必死こくんだって。
ライブもライブで、実際目にしたライブはそれ以上の価値を持つ。
この目で、手で確かめてこそ、大事だってことに気づくこともたくさんある。
もし、これ以上にメディア技術が発達して、音楽そのものだけじゃなくライブ映像までもがリアルタイム配信されて、お金を払えば誰もが、上限もなく、ライブを観れるようになったら。
10時きっかりに電話を片手に必死になる必要もなくなる。
わざわざ遠いところまで足を運ばなくてすむ。
もしかしたら配信を録画することも可能になるかもしれない。
ずーっと、この先もその映像を繰り返し見れるかもしれない。
でもそんなことが可能になったら、情報集めに必死になったり、チケットが取れたときすごく嬉しく感じたり、会場までの道のりにドキドキしたり、そういうこともなくなっちゃうんだろう。
それは私にとって、すごく寂しいこと。
きっと、チケット代の代わりにお金払って、それで見れるんならそのほうが便利だっていう人はたくさんいるんだろうな。
きっと、そっちのが賢いと思う。
無駄なことをしなくていいし、現代社会に合ったものなのかもしれない。
技術の発達は物理的な問題も解決してくれるわけだし。
でもやっぱり私は、きっとライブに行くんだろうと思う。
この目で観てみたいと思う。
その時何を感じたのか、明日には上手く思い出せなかったとしても、やっぱりあの空間で知りたいと思う。
得た情報量は同じだったとしても、数値化できないものを感じるのが人間だろう。
好きな人にしか出来ないことをやって初めて、好きって伝わるような気がするから。
誰にだって簡単に手に入るようなこと、誰にだってすぐに出来ることなら、私はいらない。
同じように感じている人に出会うためにも、これからもライブに行くし、音楽配信だとか着うただとか、そういう文化が発達したとしても、CDが媒体としてあり続ける限りは、買うんだろうと。
そんなことを思った。
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