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今日は買い物ついでにキャンドルを買ってきた。
一人キャンドルナイトを楽しんでいたらシロップにまつわる出来事を思い出し、うっかり泣いてしまった。
キャンドルナイトのことを教えてくれたのは、シロップ繋がりの友人だったなあ。
一旦ぶわーっとなるとぐずぐずに泣いてしまうのね。
10代後半から今までずっとだもの、そりゃ思い出が多すぎる。
彼らの活動自体で悲しくなることは無くなっても、まつわる出来事だったり思い出だったり、未だにそういうものにやられる。
あの最後のライブも含め、彼らの全てが見事に綺麗な思い出に化しているけれど、二次的な部分は中途半端に風化されていて、変にノスタルジックでやり場に困る。
一緒にチャリ飛ばしたこととか、冷えた手の平の温度とか、初めて会った日のことも全て。
DVDを観たらどうなるんだろう。案外すっきりした気持ちでいたりして。
DVDは絶対に一人で観ると心に決めている。
誰かと観るものじゃないだろうなって思う。
ミッシェルの時もそうだったし、なんせすげーシロップが好きって人なんて身近におらんもん。
出来ることなら、あの子と一緒に観たいって思うけど。無理な話だもんなあと思考は現実に傾いて悲しくなった。
心から好きなものは、きっと忘れることはなくて、ずーっと、死ぬまで、要らなくなるまで、染み付いたままだろうなって感じる。
本当に、彼らからは思いの強さってものを教えてもらいました。
今までどれだけ甘く生きてきたんだろう、とか、どれだけ大事なものを適当なままに過ごしてきたんだろう、とか。
不思議なことに、どっかで諦めたら届かないんです。
どんなに大切で、どんなに愛していても、一瞬の気の緩みみたいなものであっちゅうまに失ってしまう。
これは美談でも何でもなく、紛れも無い事実。
彼女にはもう会えないけど、きっとどこかで頑張ってるんだろうって思って、また私もがんばろ。
一人キャンドルナイトを楽しんでいたらシロップにまつわる出来事を思い出し、うっかり泣いてしまった。
キャンドルナイトのことを教えてくれたのは、シロップ繋がりの友人だったなあ。
一旦ぶわーっとなるとぐずぐずに泣いてしまうのね。
10代後半から今までずっとだもの、そりゃ思い出が多すぎる。
彼らの活動自体で悲しくなることは無くなっても、まつわる出来事だったり思い出だったり、未だにそういうものにやられる。
あの最後のライブも含め、彼らの全てが見事に綺麗な思い出に化しているけれど、二次的な部分は中途半端に風化されていて、変にノスタルジックでやり場に困る。
一緒にチャリ飛ばしたこととか、冷えた手の平の温度とか、初めて会った日のことも全て。
DVDを観たらどうなるんだろう。案外すっきりした気持ちでいたりして。
DVDは絶対に一人で観ると心に決めている。
誰かと観るものじゃないだろうなって思う。
ミッシェルの時もそうだったし、なんせすげーシロップが好きって人なんて身近におらんもん。
出来ることなら、あの子と一緒に観たいって思うけど。無理な話だもんなあと思考は現実に傾いて悲しくなった。
心から好きなものは、きっと忘れることはなくて、ずーっと、死ぬまで、要らなくなるまで、染み付いたままだろうなって感じる。
本当に、彼らからは思いの強さってものを教えてもらいました。
今までどれだけ甘く生きてきたんだろう、とか、どれだけ大事なものを適当なままに過ごしてきたんだろう、とか。
不思議なことに、どっかで諦めたら届かないんです。
どんなに大切で、どんなに愛していても、一瞬の気の緩みみたいなものであっちゅうまに失ってしまう。
これは美談でも何でもなく、紛れも無い事実。
彼女にはもう会えないけど、きっとどこかで頑張ってるんだろうって思って、また私もがんばろ。
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